「歩く旅」が広がる一方で、共通の目標はまだ十分に整理されていない
近年、日本各地で「○○トレイル」と名付けられたロングトレイルや自然歩道が増えています。
みちのく潮風トレイルでも、国内だけでなく世界各地から歩きに来るハイカーが増え、単に山頂を目指す「登山」とは異なる、「地域を歩いて旅する」という文化が少しずつ広がっています。
それに伴い、各地域ではトレイルを案内するガイドの育成も始まっています。
しかし、その内容は地域や団体ごとに異なります。
自然解説を中心とする育成。
地域文化や歴史を中心とする育成。
インバウンド対応を中心とする育成。
接客やインタープリテーションを中心とする育成。
それぞれ大切な取り組みですが、
「トレイルを歩く人を安全に導くために、何を共通基盤とするのか」
という考え方は、まだ十分に整理されていません。
今、日本にロングトレイル文化が広がり始めたからこそ、世界のガイド制度や安全管理、野外教育、環境倫理の考え方も参照しながら、「トレイルガイドとは何か」を考える時期に来ているのではないでしょうか。
私たちが考えたいのは「新しい資格制度」ではない
ここで目指したいのは、新しい資格制度をつくることではありません。
また、既存の登山ガイド、自然ガイド、ジオガイド、観光ガイドなどの制度を否定したり、置き換えたりするものでもありません。
それぞれには、それぞれの専門性があります。
私たちが考えたいのは、
日本各地に増えている「○○トレイル」を案内する人たちが、世界の考え方も参照しながら、共通して目標とできる知識・技術・姿勢の目安
です。
資格ではなく、スタンダード。
合否ではなく、目標。
誰かを排除するための線引きではなく、
「安全で質の高い歩く旅を提供するために、私たちは何を身につけるべきか」
という共通言語をつくることです。
日本では「ガイド」という言葉が広すぎる
日本には、多様なガイドが存在します。
登山ガイド、自然ガイド、ジオガイド、エコツアーガイド、観光ガイド、森林インストラクター、地域独自のガイド……。それぞれに大切な役割があります。
例えば、自然ガイドは自然の魅力や生態系を伝える専門性を持っています。
ジオガイドは地形や地質、土地の成り立ちを伝える専門性を持っています。
観光ガイドは歴史や文化、地域の物語を伝える専門性を持っています。
しかし、
「自然や地域を伝えること」と「野外で人を安全に導くこと」は、重なる部分がありながらも、同じ専門性ではありません。
ここは、日本でガイドを考える上で非常に重要なポイントです。
もちろん、自然ガイドやジオガイドの中にも、高い安全管理能力を持つ方はたくさんいます。問題は個人の能力ではありません。それぞれの制度が、
- リスクアセスメント
- ナビゲーション
- 気象判断
- グループマネジメント
- 野外救急
- 緊急時対応
- 撤退判断
- 代替ルート判断
といった能力を、どこまで共通基盤として求めているかです。
「ガイド資格を持っている」ことと、「そのフィールドで人を安全に導ける」ことは、必ずしも同じではありません。
だからこそ、トレイルを案内する人には、「伝える力」とは別に、「安全に導く力」を共通基盤として考える必要があります。
海外事例|スイスでは異なる専門職として考える
日本でトレイルガイドのあり方を考える上で、一つの参考になるのがスイスです。
スイスでは、高度な山岳技術を担う山岳ガイドと、ハイキングや歩行活動を案内する専門職が、異なる職域として整理されています。
代表的には、
Mountain Guide(山岳ガイド)
と、
Wanderleiter / Hiking Leader(ハイキングや歩行活動を導く専門職)
です。
Mountain Guide
山岳ガイドが担うのは、岩場、雪氷環境、氷河、アルパインルート、ロープ技術を必要とする活動、高度な山岳判断を必要とする環境などです。
求められるのは、ロープワーク、クライミング技術、雪氷技術、雪崩判断、山岳レスキュー、高度なリスクマネジメントといった専門性です。
Wanderleiter / Hiking Leader
一方で、歩く活動を導く専門職には、ルート計画、ナビゲーション、気象判断、参加者管理、グループマネジメント、緊急時対応、自然環境への理解など、人を自然環境の中で安全に導くための専門性が求められます。
ここで重要なのは、
単純に「標高が高いか低いか」で分けているわけではない
ということです。山か平地か、標高1,000m以上か以下かという単純な区分ではなく、
その活動に、どのようなリスクがあり、どのような技術的サポートが必要なのか
という視点で考えます。ロープやアイゼン、登攀技術、雪崩判断などの要素が加われば高度な山岳技術の領域になります。この考え方は日本にとっても大きな示唆があります。
Professional formation
歩くガイドを「職業人」として育てる視点
また注目したいのは、歩く活動を導く専門職の育成が、安全技術や自然知識だけで完結していないことです。
スイスのWanderleiter養成では、リーダーシップに加え、マーケティングや事業運営も学びの対象として位置づけられています。
これは、ガイドを単なる「案内する人」ではなく、
人を導くリーダーであり、自らの専門性を社会に届け、職業として持続させるプロフェッショナル
として捉える視点につながります。日本各地のガイド育成を考える上でも重要な視点です。
世界の考え方を参照し、日本における「トレイルガイド」を考える
もちろん日本とスイスでは自然環境も法制度も文化も異なります。スイスの制度をそのまま導入するわけではありません。
しかし、「高度な山岳技術を担う専門職」と「歩く人を安全に導く専門職」を分けて考えるという発想は、日本でも大いに参考になります。
みちのく潮風トレイル、信越トレイル、熊野古道など、日本各地で「歩く旅」を目的とする道が広がる今、私たちは
日本各地の「○○トレイル」と呼ばれるロングトレイルや自然歩道を案内する人を、「トレイルガイド」という概念で捉えてみてはどうか
と考えています。安全管理、リスクマネジメント、野外救急、野外教育、環境倫理、インタープリテーションの世界の知恵を参照しながら、日本のトレイル環境で何が必要かを考える試みです。
トレイルガイドとは何か
私たちが考えるトレイルガイドは、
歩く人を安全に導き、自然を守り、地域と来訪者をつなぎ、歩く旅そのものをデザインする人
です。単に道を知っている人や、自然に詳しい人、歴史を説明できる人ではありません。また登山ガイドの簡易版でもありません。
数日にわたる行程管理、体力差やペース配分、天候変化への対応、交通接続、宿泊連携、荷物配送、地域住民との関係、環境配慮など、歩く旅ならではの広範な専門性が求められます。つまり、
「道を案内する人」ではなく、「歩く旅全体を支える人」
なのです。
登山ガイドとトレイルガイドは上下関係ではない
トレイルガイドは登山ガイドの下位資格ではありません。役割が違います。
登山ガイドは高度な山岳技術が必要な環境で安全に導く専門性を持ち、トレイルガイドはロングトレイルや自然歩道を中心に歩く旅全体を成立させる専門性を持ちます。
岩場や雪渓など山岳技術が必要な区間では既存の登山ガイドと連携する。大切なのは「資格の有無」だけでなく、そのフィールドのリスクを理解し、自らの能力範囲を判断できることです。安全を支えるのは、資格だけでなく経験、技術、判断力、継続的な学びです。
世界と共通言語を持つために、まず安全管理とリーダーシップを土台にする
トレイルガイドの共通基盤を考える時、最初に置くべきものは安全管理です。インタープリテーションも自然解説も地域文化の紹介も、すべては参加者が安全に行動できることの上に成り立つからです。
日本だけの独自基準をつくるのではなく、
世界で積み重ねられてきた考え方と共通言語を持つ。
その上で日本の自然環境や地域文化を理解する。この順序が重要です。
安全の上に、トレイルガイドの専門性を積み重ねる(7つの柱)
1|安全管理とリーダーシップ
- リスクアセスメント / ナビゲーション / 気象判断 / 行程管理
- グループマネジメント / 状況に応じた意思決定 / リーダーシップ
- 野外救急 / 緊急時対応 / 撤退判断 / 能力範囲の理解
安全管理とは事故防止技術だけではありません。チーム全体を見ながら判断し、予定変更や引き返す判断を参加者に納得させ導くリーダーシップが不可欠です。
2|インタープリテーション
- 自然・地形・歴史・文化・地域の暮らし・人と自然の関係
- 参加者の発見を促す対話
3|環境倫理
- Leave No Trace / 自然保全 / 利用マナー / オーバーユースへの理解
4|ホスピタリティと異文化理解
- コミュニケーション / 異文化理解 / 多様な背景への配慮
5|地域との接続とチームづくり
- 宿泊・食・交通・地域事業者・住民との連携 / 地域経済貢献
6|旅のデザイン
- 歩行距離 / 行程設計 / 交通接続 / 宿泊 / 天候対応 / ストーリー設計
7|マーケティングと事業運営
- 商品造成 / 価格設定 / チャネル / DMO連携 / 収支管理 / 年間の仕事づくり
自分の専門性と地域の価値を適切な市場へつなぎ、持続可能な仕事をつくるための能力です。
Professional guide
「稼げるガイド」を育てる前に、何を学ぶべきか
世界を基準に考えるなら、必要なのは、
Safety|安全に導く力
Leadership|人とチームを導く力
Interpretation|価値を伝え、つなぐ力
Marketing & Business|仕事として成立させる力
人を導けるか。チームをつくれるか。価値を市場へ届けられるか。仕事を継続できるか。そこまで含めて共通基盤を考える必要があります。
世界基準を参照する3つの土台(LNT / WFA / WEA)
「世界と共通言語を持つ」と言っても、具体的に何を共通の土台とするのか。世界各地のアドベンチャーツーリズムや野外指導の現場で、長年培われ共通言語となっているのが以下の3つの国際スタンダードです。
Leave No Trace(環境倫理)
自然への配慮と持続可能な利用。自然を守るためだけではなく、訪問者・地域・自然が共存できる利用方法を考える世界基準の倫理観です。
公式サイト >Wilderness First Aid(安全管理・野外救急)
経験や勘だけに頼るのではなく、リスクを予測し、安全に判断・対応・ケアするための野外救急の共通言語です。
公式サイト >Wilderness Education Association(教育・体験設計)
知識を一方的に説明するのではなく、参加者自身が気づき、学び、感動する体験を設計・ファシリテーションする考え方です。
公式サイト >【実践者の視点】知識を教える人から、体験をデザインするファシリテーターへ
私自身、LNTやWFAの学びも不可欠でしたが、特にWEAを学んだことで、ガイドの役割に対する認識が大きく変わりました。
「何を説明するか」「何を教えるか」ではなく、「どうすれば参加者自身が気づき、学び、感じられるか」。ガイドは知識を一方的に披露する解説者ではなく、体験をデザインするファシリテーターであるべきだという視点です。
資格の肩書を集めること自体が目的ではありません。安全管理(WFA)、環境倫理(LNT)、教育・体験設計(WEA)という世界で培われた共通言語を身につけることで、日本のフィールドで行うガイドの実践を世界視点で見つめ直し、磨き上げることができるのです。
東北での実践から、世界とつながる共通基盤を考える
みちのく潮風トレイルをはじめ、東北には海岸、漁村、里山、震災の記憶、暮らし、食、温泉を一本の道がつなぐ豊かな環境があります。だからこそ東北は、「歩く旅を支える専門職」について深く考えることができる地域です。
日本独自の制度に閉じるのではなく、世界で積み重ねられてきた知恵と共通言語を持ちながら、日本の自然と地域の中で実践することを目指しています。
資格をつくる前に、まず「目指す姿」を共有する
私たちが今考えたいのは、新しい資格制度でも誰かを認定することでもありません。まず必要なのは、
「トレイルガイドとは、何を大切にする人なのか」
を共有することです。
安全とリーダーシップを土台に。自然を理解し。環境を守り。地域と人をつなぎ。歩く旅をデザインする。世界と共通言語を持ちながら、日本のフィールドで実践する。それが、これから私たちが考えていきたいトレイルガイドの姿です。